双子とわたし、ときどき夫

双子育児(2016/9)と、ときどき夫 そんな生活。育児のこととか、日記とか。日々の暮らし。

『普通』に憧れる話 2

こんばんはフジセイです。

 

今回もダークサイドでお送りします。

記事を書くことで、頭の中が整理されていくようで

すっきりとした気持ちになりました。(前回の記事)

自己満ゴーゴーで申し訳ございません。

 

 

 

おばあちゃんの話。

大好きなおばあちゃんの話をします。

話が逸れていく可能性はありますが。

 

おばあちゃんは、6人兄妹の4番目です。

大正生まれ。おじいちゃんとは、

お見合いで結婚しました。

戦時中、結婚式をあげたそうです。

 

2人の間に子供はいません。

うちの父は、養子です。

 

どこからやってきたかというと、

おばあちゃんの兄妹の1番上のお兄さん夫婦。

息子ができたはいいが、離婚したんです。

で、育てられないからって、

おばあちゃんのところへ養子へ出されたのです。

 

だから、わたしはおばあちゃんとは

血の繋がりはありますが、

おじいちゃんとは、血の繋がりはありません。

血の繋がりって、そんなに重要じゃないな、と

ほんとにそう思います。

 

わたしは、おじいちゃん、おばあちゃんが

大好きでした。

 

おじいちゃんは、定年退職後

少し痴呆が始まり、危惧したおばあちゃんが

川柳を始めることを勧めます。

そこから、おじいちゃん、川柳にはまって、

はまって、お陰で亡くなるまで

しゃんとしていました。

いつも川柳を考えていて、

どこでも書けるように、

家のいたるところに、メモの束が置かれてて。

 

 

あ、おばあちゃんの話。

おばあちゃんは、絵が得意です。

岩絵具を使って描く、日本画をしていました。

 

わたしが絵を描くのが好きになったのは、

おばあちゃんの影響です。

おばあちゃんが、ぬりえを買ってくれて

色鉛筆でこうするときれいに塗れるんだよ、

って、教えてくれて

そこから、「わたしが○○描いて!」って

言うと、かわいいとは程遠い(笑)うさぎとか、

アンパンマンとか、描いてくれました。

あぁ、おばあちゃんみたいに

上手に絵を描けるようになりたいな!って。

思ったのがきっかけだと思います。

そこから、ずっと自由帳にお絵描きをしていました

 

わたしが、絵を描くと

すごーーく喜んでくれて、

上手でもないのに、「上手だ、上手だ!」と

褒めてくれて、また嬉しくなってまた描いて。

わたしが高校生のときに、描いた自画像は

おばあちゃんの寝室にいつまでも

いつまでも飾ってくれていました。

社会人になって、帰省したときも

「上手だねー」って、

その絵を褒めてくれたりして。笑

 

 

そんなこんなで、

わたしは、おばあちゃんが大好きでした。

気が合ってたのかなって。

 

おばあちゃんが

「この前吉野家へ行ったけど、おばあちゃんの牛丼の方がおいしいんだけん!」

って言えば、そうかと、素直に聞き

帰省する度に、牛丼を作ってもらいました。

なぜか、、、数年後には、

吉野家はおいしい」に

変わっていましたが。笑

 

 

 

そんなおばあちゃんの弱みというか、

悲しい部分というか、

それは、うちの父です。

 

おばあちゃんとしては、最高の人でした。

だけど、うちの父の、母親には

なれなかったのです。

 

いつまでも、養子(お客さん)として育てていたようです。

 

ある日、

お客さんが父を褒めてくれたそうです。

そのときに、おじいちゃんが放った一言で

うちの父の人生は、音をたてて崩れてゆきました。

 

「養子です!」

 

その言葉が、どれほど父の心を傷つけたのかは

わたしには計り知れません。

今となっては、確かめようもありません。

そこから、父は人が変わってゆきました。

 

親子関係が崩れた瞬間でした。

きっと、おじいちゃんも一生懸命育ててたはず。

おばあちゃんだって、同じ。

だけど、、、もう崩れた信頼関係は

2度と戻りませんでした。

それほど、もろい関係だったんだなと思います。

 

 

それに対して、負い目があるのか、

父の横暴な態度を許容してしまったのです。

 

借金したら、肩代わりし、

お金が必要だと言ったら、出す。

 

 

 

 

へんてこな親子関係が

結局、父が亡くなるまで

最後の最後まで続きました。

 

わたしは、1度だけ父に殴られたことが

あります。たった1度だけ。

 

父がおばあちゃんにお金を借りるところに

遭遇してしまい、情けなくなったわたしは、

止めたんです。それで、かっとなった父は

わたしをがっと殴ったのです。

 

理不尽な理由。

ほんとに情けない大人です。

 

そこから、わたしは父を許せなくて

顔も合わせなかったのですが。

 

 

 

あ、おばあちゃんの話。

 

おばあちゃんは、大腸のがんになりました。

もう、だいぶ年をとっていたので

進行もだいぶゆっくりです。

 

「もう、死ぬから」と

死ぬ死ぬ詐欺(言い方)をして、

10年ぐらい生き続けました。

 

「死にたい」と言いながら、

バランスの良い食事をとるおばあちゃん。笑

 

まだ結婚していなかったわたしに

「子供を作ってしまえばいい」

と、まぁとんでも発言をして、

わたしの結婚を心待ちにしてくれていました。

 

結婚したら、

「子供が楽しみだね」と言って

わくわくして待ってくれていました。

妊娠したとわかったら、

誰よりも喜んでくれて、

よかったねー、よかったねーと

何度も言ってくれました。

 

去年、

6月に検査入院することになり、

そこから、もう生きる気力をなくしたかのように

見えました。が、そこへ、

わたしが、里帰りで入院することになったのです。

同じ病院へ。

入院中、何度も病室を行き来しました。

わたしの大きなお腹を見て、

「すごいね。重たいでしょ、」と

毎回驚いてくれました。

 

「双子だけんねー、生まれるまでがんばってよ、おばあちゃん!!!」

 

って、いうと静かに微笑むだけでした。

 

一緒に病室から花火も見ました。

わたしには、きっと一生忘れられない風景です。

 

 

おばあちゃんが、退院することになりました。

最期はうちがいい、と言って。

 

 

「双子を抱っこしてね!」っていうと

また、笑うだけ。うんって言わない。笑

 

 

 

 

で、わたしは双子を出産しました。

産後8日で、わたしは退院です。

双子は、33週で生まれたから

1ヵ月入院することに。

わたしだけ、退院。

 

おばあちゃんは、家で

もう寝たきりになり、

意識も朦朧としていました。

ご飯も食べない、水も飲みたがらない、

たまに、意識が戻ってきて

双子の写真をみて

「よく似てる」とだけ言って、

また眠る。そんな日々でした。

 

おばあちゃんの寝室で、

返事をしてくれないおばあちゃんに

話しかける。なんとも心が苦しくなる、

辛い時間でした。

 

でも、おばあちゃんの大好きなおじいちゃんが

天国で待っててくれてるし、

おばあちゃんも苦しいだろうし、

楽になってもいいよねって、

わたしが自分に言い聞かせてる時間でもあった

ように思います。

 

 

 

そして、

わたしが誕生日を迎えた日に、

おばあちゃんは、

天国へ旅立ちました。

92歳でした。

 

双子を抱っこしてないのに。

 

 

でも、抱っこしてくれるって

約束してないんですけどね。

 

抱っこしてほしかったな。

 

 

 

わたしが、

家族で唯一味方になってくれる人を

失った日でした。

もう、味方はいない。

 

 

でも、安心して見守っててね、

おばあちゃん!!!